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■掲載記事  Article
『たいころじい』 2003年6月号掲載
東京打撃団は今年七月で結成九年目を迎える男性和太鼓集団である。会場の天王洲アイル・アートスフィアは満席。老若男女入り交じるが、若い女性の姿が多いようだ。
スモークが立ちこめる中、ゆるやかにカーテンが開き、ゴングやトーラを使った荘厳な雰囲気の曲『ガルーダ』 でライブは始まった。次の『MIYA-GO!』は名前通り五人が宮太鼓を打つ。力強さはあるが、始まったばかりで乗り切れていないのか、リズムの乱れを感じた。『螺旋律』 の早打ちは聴きごたえあり。『石敢當(さしび)』では二尺の宮太鼓を二人が両側から打ち合う。中腰の安定した体勢、二の腕の筋肉の盛り上がりに日頃の練習ぶりがうかがえる。アクロバティックなバチさばきや樽創作太鼓の音色が興をそそる『X(クロス)』、桶太鼓に鉦が絡む軽快な楽曲『楽歩(らっぷ)』では会場も手拍子で応える。ついで『天涯』では大太鼓と平胴太鼓が力強い音を聞かせたあと、篠笛を中心にタイゴングの金属製の音が絡む『いつくし』でなごみの時間をつくり、『連』は沖縄太鼓と宮太鼓でパワフルな展開。篠笛ソロ『川辺に咲く花』のあと、貯めた力を大太鼓、平胴太鼓に締太鼓を加えた『きざし』で一気に爆発させてフィナーレ。大きな拍手が起こった。
オブジェのような舞台美術も楽しみながらのライブはメリハリのある構成で、和太鼓の魅力を十分に感じさせたが、今回は新メンバーが加わって初めてのライブとのこと。そのためなのか、曲によってはバランスの悪さが感じられ、音のムラや力みが気になる部分もあった。基本ができており、もっと高いところへ行けるユニットである。惜しいと思う分だけ聴く耳、見る目も厳しくなる。
東京打撃団の魅力は男性六人の若々しいエネルギーが前面に出ていることだ。太鼓が好きだという気持ちも演奏から伝わってくる。さらなる修練によって、より完成度の高い演奏を聴かせてくれると期待している。

(全文/太鼓と人間の研究情報誌『たいころじい』第23巻より)
RUSSIA 『文化(くりとぅーら)』紙 2003年5月8-14日号(週刊)13面掲載
RUSSIA 『The St.Petersburg Times』 2003年4月22日掲載
朝日新聞 2003年3月31日掲載
邦楽ジャーナル 2002年11月号掲載
異なるタイプのユニットで活動
新生打撃団リーダーの熊谷修宏の太鼓歴と現在の活動について

(略)二十四歳の熊谷は、これまでの多くの奏者がたどってきた鼓童や鬼太鼓座の在籍・研修生経験はない。太鼓への興味は郷土で盛んに催されていた神楽への興味から始まったというが、本格的に触れるきっかけになったのは、中学の文化祭で太鼓を取り入れたところからだという。
(略)それではそんな熊谷が、自分をどういった奏者として位置づけているのか。(略)「僕自身は一人のパフォーマーとしてやっていきたいですが、和太鼓を使ってパフォーマンスでお客さんを楽しませる、エンタテインメント性にあふれるステージを創りたいです。(略)熊谷が中心となって展開していく新生・東京打撃団にベテラン富田と作り上げる和太鼓新紀撃。現在彼のメインとなるこの二つの活動で、それぞれの熊谷を彼自身がどのように表現していくのだろう。その多面的な活動に期待を持ちながら見守っていきたいと思う。
邦楽ジャーナル 2002年8月号掲載
プロデューサーとして関わる
代表 平沼仁一の太鼓歴と新生打撃団について

(略)結局、平沼は九二年まで太鼓の裏方を務め、その後、フリーとなり東京打撃団を結成するのだが、今回平沼と打撃団に注目したのは、奏者が代表を務めることがほとんどである太鼓のグループの中で、打撃団については平沼というプロデューサーがグループを取りまとめているところだった。
(略)「これまでの打撃団はいわば『個』の集まりだったんですが、今の若いプレイヤーとしては『チーム』としての活動を求めてくるんですね。これは最初に始めた僕らが嫌っていたことだったんですが、彼らはそれを改めてやってみたいと欲求しています。また、最初はメンバーが元鼓童のメンバーだったからこそ存在したアンチな部分が、メンバーが変わることで意味を失ってきたのかもしれません。それらが合わさって、今後は本来の太鼓らしさを求めた打撃団が生まれてくるかもと考えています。」
LaTina 2001年6月号掲載
最近ますます増えている和太鼓のグループ。鼓童に代表されるように集団で構成するステージが多い中、5人と言うコンパクトな編成でアンサンブルを重視したステージを見せるのが東京打撃団。(略)世田谷パブリックシアターで行われた彼らのステージは、それぞれのメンバーが1、2台の太鼓を傍において演奏する「かむくら」からスタートした。ひとつの太鼓に他の太鼓が徐々に重くなっていく曲なのだが、5人を横一列に並べず、前後二列にしたことで、作品の立体間がさらにましているようだ。これはさらに通 常のホールやライブハウスとはちょっと違い、観客がステージを上方から見下ろすような客席を持った小劇場向けのこの空間をうまく理解した演出だとも言えるだろう。(略)
The Japan Times 2001年4月22日掲載
代表 平沼仁一の経歴の紹介とコンサートインフォメーション。
邦楽ジャーナル 2001年5月号掲載
邦楽【素もぐり】1本勝負
 一太鼓は「言葉」

世田谷パブリックシアターは、三階席までほぼ埋まっていた。カップルあり、親子連れあり、老夫婦、外国人など、いつもの邦楽の観客とはかなり異なっている。圧倒的に若い人が多い。私の後ろの席には、女性のグループが開演前から興奮気味でおしゃべりしている。どうやら固定ファンのようで、メンバーの名前が飛び交っていた。太鼓音楽は、もうすっかりポピュラーなものなんだな、と実感する。独特の「太鼓フリーク」といったファンの存在が、劇場の空気を弾ませていた。
東京打撃団は、新しい太鼓音楽を模索し、表現しようとしているグループだと編集部から教えられた。ただ長く打ち続けるとか、パフォーマンスに走るとか、ストイック過ぎるといった太鼓音楽に、新風を吹き込もうとしてきた集団だという。
(略)まず驚いたのは、同じ太鼓を同じように叩いていても、奏者によって音色がまったく違うことだ。全員が同じ楽器で演奏する曲目は、それがより際立ち、実に面 白い。太鼓は「言葉」なのだなぁ、と思う。奏者の人間が出てしまうものなのだろう。
(略)太鼓は一見、豪快な音楽に思えるが、その音質、音と音の一瞬の緊張感など、むしろ繊細な耳を要求する音楽なのだと知った。(略)
産経新聞 2001年4月10日掲載
太鼓の静けさ神秘性を表現
(略)「月というのは、何かえたいの知れないものを発している。時には現代の我々が忘れてしまった"畏怖"さえも感じる。今回は五人のプレーヤーに私の月に対するイメージを理解してもらい、音量 で圧倒するのでなく、太鼓の持つ静けさ、神秘性を表現したかった。」
(略)二十世紀の最後のニ、三十年は和太鼓の独特な魅力が世界中に広まった時代。いろいろな国の人々が純和風なスタイルを模倣したり、自分なりの奏法を生み出してきた。「二十世紀は和太鼓のそうした流れが幾つかの流れに収れんしていくと思う。ブームが去って"文化"と呼べるところまで達するにはスタンダードと呼べるものが出現するかどうかだ。われわれもいろいろな試みはしながらも、"組太鼓"というスタイルを通 して和太鼓の本質をとらえ直していきたい」
AERA 2001年4月2日掲載
静かなる太鼓 響きを見なおす
「和太鼓ブームと言われますが、大勢が皆同じスタイルで大きな音を連打するだけでは…」そう話すのは和太鼓グループ東京打撃団の平沼仁一代表。鬼太鼓座、鼓童を経て1995年に「打撃団」を結成した。「団員一人一人の個性をもっと活かしたい」から5人という小編成。ふだんはそれぞれソロ活動をしている実力派を集めた。98年の仏サッカーW杯閉会式など国際舞台での活躍もめざましい。
 最新作のテーマは「静かなる太鼓、荒ぶる月。」「ドーンという、太鼓本来のゆったりした響きの美しさを見直したい」。小さな打楽器とダイナミックな演奏を対比させることで、新たな表現を探る。
Asahi Evening News 2001年3月30日号掲載
東京打撃団の略歴とコンサートインフォメーション。
1998-2000 2001-2003 2005-2007 2008-
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