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■掲載記事
EUROPE 2000年7月〜8月掲載
2000年7月26日
DIE WELTAUSSTELLUNG IN BILD HANNOVER
静寂の午前、和太鼓とダンス共演の午後。
午前10時半、エキスポプラザには大勢の人が詰め掛けた。はじめに故皇太后への弔意。ブロイエル総裁の日独の共通項と友好継続への意志表明。豊田代表は「ハノーバーの理念を2005年に継続する。」
午後は文化プログラムが行われた。ダンス(曲芸のような)と日本の伝統音楽が太鼓にあわせて観客を圧倒。
無料で配られた竹の楽器が華やかさを添えた。
日経トレンディ 1999年4月号掲載
和太鼓が取り戻す「日本人の自信」
彼らには、草創期の創作太鼓グループが抱えた海外へのコンプレックスや日本美への過剰な思い入れ、指導者と演奏者の確執、葛藤は既にない。東京都世田谷区という歴史の浅い住宅地に拠点を置く東京打撃団は、その土着性の薄さ、それゆえの自由度の高さが武器と言い、ストリートファッションで舞台に立つ。(略)
「和太鼓ブームは日本人による根っこ探しだとよく言われたが、それはもうひと昔前の話。今はルーツ以上に太鼓そのものがもたらす『心の解放』の方に、魅力の重心は移っていると思う」と語るのは、ブームの渦中で過ごしてきた、東京打撃団の代表、平沼仁一だ。では和太鼓は、このブームをいかに次代につなげていけるだろうか。
「70年代のブーム当初から、和太鼓は地域振興、エコロジーという今日的なキーワードを伴ってきた。この先、音楽としてより深い精神性を獲得する事は大きな課題ですが、そのためにはこれらのキーワードと同化した、日本人ならではの表現が必要」と『たいころじい』発行人の中田徹は説く。(略)
朝日新聞 1998年2月19日掲載
個性あふれる和太鼓の響き
(略)和太鼓といえば、ハッピ、ハチマキ、地下足袋姿の男たちが大音響を奏でるイメージが強いが、Tシャツやベストなど思い思いの衣装を着て、個性のぶつかりあいを通 したアンサンブルを追求する。
これまでの和太鼓グループの形式と結束を中心にしたイメージへのアンチテーゼだ。
「大集団で音を出す組み太鼓の歴史はせいぜい20〜30年。こうしたスタイルをいっぺん解きほぐして、太鼓そのものの個性的な響きを表現したくてグループを作った。都市生活者の視点で太鼓を見直したい」と平沼。
プログラムは、それぞれが作ったオリジナル曲が中心。日本のリズム、西洋音楽のメロディー、コミカルなパフォーマンスという3つのパターンを使い分けながら展開してゆく。
産経新聞 1998年7月11日掲載
フィナーレで「2002」年アピール
(略)閉会式の中ごろで、韓国の国立舞踊団とともに揃って登場。(略)単独で演奏するのは1分間。さらに、巨大な花火を背負い、高さ1.3メートルの竹馬に乗った花火師たちが踊る中、フランスの若手作曲家が作った曲にあわせ、4分間、日韓が合同で太鼓をたたく。
東京打撃団の平沼仁一代表は「楽屋では仲良くわいわいやってるけど、韓国に負けないよう日本の文化を伝えたい」と話した。
神奈川新聞 1998年7月14日掲載
W杯閉会式 日韓の太鼓響く
日本と韓国の太鼓の音に合わせて、競技場に花火が乱舞する。フランス初優勝の興奮が渦巻く中、パリ郊外サンドニのフランス競技場で12日深夜、W杯フランス大会の閉会式が行われ、日本と韓国の打楽器演奏グループが2002年のW杯日韓共催への助走を告げる太鼓を打ち鳴らした。閉会式では、竹馬に乗った花火師が背中に取り付けたアーチ状の棒から花火を噴射しながらグラウンドを走り回る中、日本の太鼓演奏グループ「東京打撃団」と韓国国立舞踏団の打楽器グループが登場。鮮やかなバチさばきから生まれる力強いリズムが、7万5千人の大観衆で埋まった競技場の夜空に響き渡った。(後略)
邦楽ジャーナル 1998年4月号掲載
個性が聞こえる東京打撃団
東京打撃団がいよいよおもしろい。
二月二十八日、東京・世田谷パブリックシアターでの公演は、優れたエンターテインメントだった。
開幕から意表を突いた。暗がりの中で五人のメンバーが輪になっている。それぞれ手にしているのは小さな長胴太鼓。楽器というよりは飾っておくための太鼓だろう。素手で叩く。コケコッコと。題して『小ケ鼓々』。客席から笑いが漏れ、演奏者と聴衆の距離は一気に縮む。(略)和太鼓集団の多くが個性の主張を見いだせない中で、東京打撃団は笑いを取り込む事で道を見つけた。パフォーマンスで評価される危険を冒さねば打ち破れないほど、和太鼓集団のイメージは固定化している。三十年ほどの歴史しかない集団演奏が、伝統芸能であるかのような幻想を生んだ事は、いずれ検証されねばならないが、鬼太鼓座、鼓童が作ったスタイルを破るのは、東京打撃団といっていいだろう。(略)
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