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『炎太鼓とジョイントによる東南アジアツアー(タイ/マレーシア/ブルネイ)』 2007年1月

 

 

『朝日新聞』 2006年10月16日掲載
『ターザン』 2006年8月9日号掲載(No.470 マガジンハウス発行)
『教育音楽』 2006年3月号掲載(小学版/中学・高校版 音楽之友社発行)
東京打撃団!打撃塾!!まずこの痛快なネーミングに思わず膝を叩いてしまったのだが、会場に入るとホワイトボードには手書きでなんとこう書いてある。<炎の太鼓!最後まで立っているのは誰だ!?>……いったいどんな恐ろしいことに??(中略)16人の叩き手の迫力に押されて1時間。ふと、バチの持ち方、叩き方、姿勢……あまり〈講釈〉がないことに気が付いた。ただひたすら打って打って打ちまくる。あえて今回のワークショップはシンプルに〈楽しく・打ち込む〉ことをテーマにしたという。(中略)ベースとなるシンプルな連打(地打ち)のリズムに慣れてきたところで、「テンケテンケ・テンケテンケ」という〈跳ね〉のリズムが加わった。リズムが華やいでくる。そして18時、「これからがやっと本題」ホワイトボードには、音符と休符で6パターンほどの〈基本テーマ〉が描かれている。(中略)……まず口に出してリズムを覚え、バチさばきをイメージ、そして実際に打つ。楽譜を見ながらの叩きよりも、やはり口に出してリズムを体に入れてしまうのがいいようだ。見ていると、ついついこっちまで口と手が動いてしまう。(中略)見ていると、チームごとに、いや一人ひとりの叩き方と表情に実に多くの個性がある。(中略)あり得ないぐらい解き放たれてハッピーな笑顔が素敵だった。笑顔といえば、今日のワークショップを指導する関根まことさん(23歳)と横山亮介さん(24歳)、この二人の抜けるような笑顔がまたイカす。「太鼓打ちの体は、ただひたすら打ち込むことによってしか生まれない」という〈東京打撃団〉。ストイックなようで、〈楽しく笑って打つ〉のもまた身上という。(中略)関根さんと横山さんの、やわらかで、おおらかで、でも筋をキチンと通す人柄は、大人も子どもも惹きつける。舞台と客席の垣根をとっぱらって〈共生感〉を生み出せるだけのチカラを感じた。さて、あっという間の3時間が過ぎ、整理運動をしてワークショップはお開きに。「あれ?全員元気に最後まで立ってますね。失敗した。もっとハードでもよかったですね」みんなで大笑いした。次回のワークショップは、さらにハードな〈鬼の打ち込み〉と化すのだろうか?
『産経新聞』 2006年1月22日掲載
魅了する素朴な美と音色

 東京を拠点に国内外で活動する和太鼓集団「東京打撃団」(平沼仁一代表)。平成七年に結成され、現在の団員数は二十代が中心の男性六人。高い芸術性、力強い群打を売り物に、オリジナル曲を披露するグループとして評価も高い。新春コンサート直前の平沼らに話を聞いた。
 東京都目黒区の上目黒住区センター。二十畳足らずの狭い地下室に轟音が響く。「地方だと固定した稽古場があったり、地元自治体が援助したりもする。都会では稽古場を確保するのが難しく、倉庫も必要。東京で太鼓のグループを維持するのは大変」と平沼。メンバーが集まる週二回の稽古は、事務所のある世田谷や大田、品川区、川崎市などの公共施設を転々としながら活動する状態が続く。
 この稽古が生命線だ。「打ち込み系で、太鼓のアンサンブル(群打)に興味がある。共同で稽古して時間をかけていくことで(合った)息や体が生まれる」(平沼)。創設時のメンバーで、ソロの篠笛演奏家としても活動する村山二朗も「一緒に過ごす時間から、譜面に書き表せない間や呼吸が出る」と話す。
 音楽監督の村山を中心にメンバーが作った曲から、コンサートで発表される「大陸の鼓動」「萬来」などが選ばれた。一時間半のステージで演奏できるのは約十曲。「コントラストを考えて曲を選び、勢いのある者を(演奏)の中心にする」と平沼。「鬼太鼓座」「鼓童」でも活動した経験から全体を見渡し、編成などを決めていく。
 「活動を始めた一九八〇年代は太鼓にとって幸せな時代だった。活動の間口が広がり、『和』が邪魔になる太鼓グループもあったが、これからは『和』に収斂していくと思う。」平沼は、祭りや民俗、伝統芸能から生まれてきた太鼓の原点が見直されていくとする。
 外国にはない和太鼓の木目、鋲、台の美しさ。その素朴な美と音色が輝くコンサートになるのだろうか。二十八日は神奈川・座間のハーモニーホール、二月十日は東京・住吉のティアラこうとう。
『THE JAPAN TIMES』 2006年1月20日掲載
『週刊ホテルレストラン』 2006年1月13日号掲載(オータパブリケイション)
和太鼓のコンサートを見たことがあるだろうか。音自体の迫力もさることながら、それを奏でる男たちの腕の動きに感動してしまう。鋭く、力強くバチを振り下ろす男たちの鍛えられた腕は、一打一打のたんなる「打音」をたたき出すのではなく、連続した「音楽」を奏でるために空間を流れるように動いていく。5人の男たちの10本の腕が一糸乱れず乱舞して、その舞がそのまま音となり空気の圧力となって観客の体にぶつかってくるのだから、これは興奮しないわけがない。しかし和太鼓から飛び出す音がこれほどまでに多彩であるとは恐れ入った。打ち方の強弱だけでなく、バチの太さや打つ位置を巧みに変えることで、音色が変化するのだ。東京打撃団の公演を見せてもらい、久しぶりに強烈なエネルギーをいただいた。脳ミソの中を掃除してくれるような、スコーンと爽快な気分になるコンサートだった。(中略)

この人気和太鼓集団を設立したのが平沼仁一代表である。平沼さんはホテルスクールを卒業後、ファミリーレストランの会社に入社したそうだ。(中略) もし、平沼さんが和太鼓に出会っていなかったら、自分のレストランを経営していたかもしれないという。仕掛けをつくって、それに食いついた人がそこに集うという反応を見るのが何よりも楽しい。そんな平沼さんが和太鼓と出会ったのが、忘れもしない80年の9月2日。とあるコンサートだった。「本当は宇崎竜童さんのロックバンドが目当てで行ったんですよ。でも、そのコンサートのなかで佐渡国鬼太鼓座の和太鼓演奏がありましてね。頭がぶっ飛びそうになるほど感動しました」9月2日にそれを聞いて、5日後には単身佐渡に渡ってしまった。恐ろしく行動派である。「ちょうど、『自分のアイデンティティは何なのか』とか、『俺の根本はどこにあるんだ』なんていう若者らしい疑問に頭を悩ませて、自分の根っこ探しをしていた時期だったんです。和太鼓に出会って、『これだ!』と思ってしまった(笑)」(中略)

東京打撃団は今、世界各地に招聘され公演活動を行っている。なかでも最大のイベントは98年のサッカー・ワールドカップ・フランス大会だった。「もう、あれ以上に大きな舞台はないんじゃないかな。フランス大会でフランスチームが優勝した直後のスタジアムで演奏したんですよ。場内は、とんでもない雰囲気だった」次の開催が日韓共同ということだったので、韓国の国立民族舞踊団と東京打撃団が閉会式に呼ばれたのだった。しかし、実はこの世界的大舞台で東京打撃団の演奏が実現するかどうかは直前まで分からなかったのだという。「ワールドカップやオリンピックレベルのイベントというのは、スポーツの大会という枠を超えて、政治的な要素とかかが複雑に絡んでくるんですね。本当にうちが演奏できるのか、本当に韓国のグループと一緒にできるのか、直前までGOは出なかった」(中略)最終的に、すべて平沼さんの構想どおりに進められる見通しがたったのは、大会終了の直前だった。冷や冷やものの綱渡りだった。「あのときは世界の代表が集まっているという強烈な迫力を感じました。あれがやれたんだから何でもできると、今の自信になっています」(中略)

音楽によって感動を生み出す仕事とは、いかなるものなのだろうか。「感動というものをつくるノウハウは何なのかと聞かれると、僕も分かっていません。ただ、コンサートを続けていて思うのは、感動の一つの要素は゛おどろき″なのではないかということ。お客さんが本当に喜んでいるときというのは、拍手の直前に息を呑み込む瞬間があるんです」東京打撃団の演奏を見ていると、いわゆる合いの手のような「お世辞の拍手」ではなく、心から「すごい!すごい!」と拍手をしてしまう瞬間がある。(中略)人生には波がある。逆境のときはひっそりと、そしてコツコツと鍛錬しておいて、チャンスが来たらそれこそ「周りの人に有無を言わせぬ勢いで」事を進められる行動力があれば、必ず良い波に乗れるのだ。
『朝日新聞マリオン』 2005年3月31日号掲載



命の刻印、音圧の源

「日本の伝統楽器」に、和太鼓を挙げる人は多いだろう。古来神事や雨ごいなどの行事、民俗芸能に欠かせない楽器として用いられてきた。だが、最近活躍する和太鼓の演奏スタイルの歴史は、実は新しい。
民俗芸能としての和太鼓は、あくまでも脇役の楽器だった。様々な和太鼓の組み合わせで演奏する「組太鼓」は、高度成長期以降に、現代の創作太鼓の流れの中で生まれたもの。60年代後半から、プロの創作太鼓集団が次々と世に出た。背景には、伝統文化への関心の高まり、大阪万博の開催など海外とのかかわりの中で、日本独自の楽器への注目もあったようだ。
神社や寺院で使われ、「宮太鼓」とも呼ばれる「長胴太鼓」は、ケヤキなどをくりぬいた胴に、皮を鉄の鋲で留める。縄やボルトで上下の皮を占める「締め太鼓」には、小ぶりで高い音を出す「附締太鼓」、杉板などを桶状につないで胴を作る「桶胴太鼓」などの種類がある。両面に皮を張り、ほとんどがバチで打つというのが、日本の太鼓の特徴だ。
打面には牛などの皮を使う。3尺(約1メートル)ほどの大太鼓になると、牛の背中側からいっぱいに採るため、打面の中央にうっすらと背筋の線が見える。長胴太鼓のくりぬき胴には、年を経た大木の年輪が浮かびあがる。生々しい命のしるしが、数ある楽器の中でも卓越した音量を誇る和太鼓のパワーの源泉のようにも見える。

都会の「なまり」持つ音を 東京打撃団
平沼仁一代表(47)が、創作太鼓の雄「鬼太鼓座」「鼓童」を経て95年に結成したのが東京打撃団。太鼓打ちの体は、打ち込みでしか作られないとの信念を持つが、あえて練習場所の確保が難しい「東京でこそ生まれる音」を追求している。
太鼓の音にはその土地の「なまり」が現れ、それが独特の味わいとなる。ならば、膨大な情報にあふれた東京には、東京の「なまり」があるはずだ、と平沼は言う。
現在は田川智文(26)、加藤拓哉(24)、関根まこと(22)、横山亮介(23)、篠笛奏者の村山二朗(37)の5人をメーンに活動する。練習中には、年長の村山が舞台を降り、メンバーの表情を見て笑顔を促す。「真剣な顔で打つのは簡単だけど、楽しさも出していきたい」休憩時間の会話はたわいない。しかし太鼓に向かう時には、太鼓と、自身への闘志があらわになる。その音は観客の体をも打ち、揺さぶる。ホール全体が震動するほどの音圧だ。新しい「伝統」への生き残りをかけて、時に笑顔で、彼らは打ち込んでいく。

雄姿もすてき 歌手・小林幸子さん
和太鼓の響き、大好きです。奏者からしてすてきでしょ? 背筋をピンと伸ばし、重心を腰に据え、体中にエネルギーがみなぎる・・・。私も和太鼓のけいこをしましたが、歌うときの姿勢、腹式呼吸にも通じる所がありました。世界各国、打楽器数あれど、やはり「和太鼓」は世界一!「東京打撃団」さんのますますのご活躍に期待しています。

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